※叛逆ネタバレ有※
世界とは親友の一握であった。
杏子が窓の外を見ながら少し頭を揺らしてリズムを取っているので、頭の中のあのゲームで遊んでいるのだなと気づいて視線をずらす。りぼんをほどいた杏子の髪の毛はいつもまとまりなくばさばさと広がるが、櫛の歯を毛先まで実にすんなりと通す。素直でないふりをして甘いくらい素直な、杏子の髪の毛は杏子そのものだ。風呂上がりの少し湿った髪の毛からは自分と同じ匂いが漂う。ルームウェアから覗くしろい手足。ほどかれたりぼんは髪留めと並んで机に置かれている。風見野から持ってきた数少ない杏子の私物。
はやく宿題やっちゃいなよ、と口では言うものの、本当はどちらでも構わないと思っている。杏子は、そういうことではあまり困らない。彼女にとってなんの役に立つのかわからないような、学校とか、授業とか、きまりとかでは。そして自分がなんと言ったところで、杏子がやらないと見切りをつけたなら宿題などはまっさらのまま鞄に投げ込まれることになる。必ず。とはいえ(、とノートを引っ掻くペンの音を聴きながら思うのは)、自分が言ってやらねばならないことなのだ、という使命感。
使命。それを持って戻ってきた役割の為すべき、ほんの些細なことにすぎない。それは。なくてもいいような。でも。
顔をあげて、きょおこ、と語気を強めると、杏子はこちらを見て、ニシ、と笑った。たぶん誤魔化すために。その拍子に八重歯が覗く。今日は静かな夜だ。不気味なほどに。静かであればあるほど不気味に感じるのは何故か。平和と秩序の眠りに沈むこの街ですら、よじれた願いの産物であるせいか。
なんの役に立つのかわからない、ような事柄では困りもしない杏子は、あの世界では、たぶん、困り果てていた。使命。魔法。祈り。救済。そして犠牲。犠牲。また犠牲。自分のためにしか魔法を使わなかった杏子は、他人のために自分を使った。最期には、そのいのちすら。自分の独り善がりと絶望が奪ったもの。
親友の祈りで書き換えられたはずの世界の、しかし砂糖が溶けるようにぬるいうたた寝のようなこの街に招かれ、そこで誂えられた人びとを見て、その底にある強い願いと呪いを見て、そこで初めて、杏子と出会ったような気がしている。誰にとっても幸福な街で、窓の外を見ながら少し頭を揺らす杏子。杏子はこれしきを望んでいたのだ。自分がすべきことをくじかれそうなほどに小さな、たったこれしきの、些細な、本当に些細でつまらない、これしきのことを。
「杏子」
なんだよ、とぶちぶちこぼしながらも、存外大人しく鞄を開けて教科書とノートを取り出す。杏子の望み。杏子の居場所。それを隣に広げ、わかんないとこは教えろよな、と唇をとがらせる。杏子。杏子の望み。杏子が本当にほしかったもの。それを叶えられるのは、美樹さやかだけなのだ。あの世界でも。今も。
いつかさよならを言うときが来る。必ず。その日までは、ここは杏子のお菓子の家だ。
お菓子の家
さやかと杏子。
世界とは親友の一握であった。
杏子が窓の外を見ながら少し頭を揺らしてリズムを取っているので、頭の中のあのゲームで遊んでいるのだなと気づいて視線をずらす。りぼんをほどいた杏子の髪の毛はいつもまとまりなくばさばさと広がるが、櫛の歯を毛先まで実にすんなりと通す。素直でないふりをして甘いくらい素直な、杏子の髪の毛は杏子そのものだ。風呂上がりの少し湿った髪の毛からは自分と同じ匂いが漂う。ルームウェアから覗くしろい手足。ほどかれたりぼんは髪留めと並んで机に置かれている。風見野から持ってきた数少ない杏子の私物。
はやく宿題やっちゃいなよ、と口では言うものの、本当はどちらでも構わないと思っている。杏子は、そういうことではあまり困らない。彼女にとってなんの役に立つのかわからないような、学校とか、授業とか、きまりとかでは。そして自分がなんと言ったところで、杏子がやらないと見切りをつけたなら宿題などはまっさらのまま鞄に投げ込まれることになる。必ず。とはいえ(、とノートを引っ掻くペンの音を聴きながら思うのは)、自分が言ってやらねばならないことなのだ、という使命感。
使命。それを持って戻ってきた役割の為すべき、ほんの些細なことにすぎない。それは。なくてもいいような。でも。
顔をあげて、きょおこ、と語気を強めると、杏子はこちらを見て、ニシ、と笑った。たぶん誤魔化すために。その拍子に八重歯が覗く。今日は静かな夜だ。不気味なほどに。静かであればあるほど不気味に感じるのは何故か。平和と秩序の眠りに沈むこの街ですら、よじれた願いの産物であるせいか。
なんの役に立つのかわからない、ような事柄では困りもしない杏子は、あの世界では、たぶん、困り果てていた。使命。魔法。祈り。救済。そして犠牲。犠牲。また犠牲。自分のためにしか魔法を使わなかった杏子は、他人のために自分を使った。最期には、そのいのちすら。自分の独り善がりと絶望が奪ったもの。
親友の祈りで書き換えられたはずの世界の、しかし砂糖が溶けるようにぬるいうたた寝のようなこの街に招かれ、そこで誂えられた人びとを見て、その底にある強い願いと呪いを見て、そこで初めて、杏子と出会ったような気がしている。誰にとっても幸福な街で、窓の外を見ながら少し頭を揺らす杏子。杏子はこれしきを望んでいたのだ。自分がすべきことをくじかれそうなほどに小さな、たったこれしきの、些細な、本当に些細でつまらない、これしきのことを。
「杏子」
なんだよ、とぶちぶちこぼしながらも、存外大人しく鞄を開けて教科書とノートを取り出す。杏子の望み。杏子の居場所。それを隣に広げ、わかんないとこは教えろよな、と唇をとがらせる。杏子。杏子の望み。杏子が本当にほしかったもの。それを叶えられるのは、美樹さやかだけなのだ。あの世界でも。今も。
いつかさよならを言うときが来る。必ず。その日までは、ここは杏子のお菓子の家だ。
お菓子の家
さやかと杏子。
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