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ダンガンロンパ他二次創作ブログ。 ごった煮で姉妹とか男女とか愛。 pixivID:6468073
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不二咲千尋のいいところはよく笑いよく泣くところだ。と、以前そういう内容のことを言っていたと友人伝いに聞いてから、江ノ島盾子は不二咲の憧れの女になった。何事も真面目に、必要以上に真面目に考え込んでしまう不二咲よりも、何倍もきれいな笑顔で江ノ島が笑っていたからかもしれない。いつも、いつでも。江ノ島盾子というのは底抜けに明るくまた底抜けに優しく、それでいて甘えたところや媚びたところなど微塵も見せない、女神のような少女だった。勉強こそ不二咲が大きく彼女を引き離していたが、それ以外の部分では、彼女に勝っている点など自分にはないと不二咲は思っている。すらりと伸びた手足に美しい髪と顔。申し分なく恵まれた身体。それを誇ることもしない、ひまわりのような江ノ島。そうして考え込む不二咲を見てまた江ノ島はひまわりのように笑う。不二咲はほんとにいい子だね、と。だからあたしは不二咲が好きだよと、江ノ島は誰憚ること堂々と言ってのけた。いつでも。
あくまでも彼女は憧れであり尊敬でありあるいはしても栓ない卑下に根差した甘だるい崇拝の対照であった。そこに幾ばくの親愛もないことを、不二咲以外の誰が知り得ただろう。もしくは他に不二咲が江ノ島盾子を憧れや尊敬で遠ざけようとしていることを、知っていた人間がいただろうか。不二咲と、江ノ島盾子の他に、誰が。よく笑いよく泣く不二咲にも信頼に足る友がいて、どこかで会えば声をかけあえる友人ならばそれよりも多くいた。不二咲は決して孤独な人間ではなかったはずだ。それなのになぜ、と思う。なぜ江ノ島にはそれが見透かされていたのだろう。不二咲の緩やかな孤独を渦のようにやわらかにかき混ぜるしなやかな白い手は、いつの間にか江ノ島のそれになっている。美しい江ノ島盾子。彼女を遠ざける理由を、不二咲にはうまく説明できない。不二咲の胸の奥の奥に鍵をかけて隠してあるものを、盾子の美しい目がいつでもじっと見ているように思えていたからかもしれない。またはそれさえも幻想であった。
光の前に立ち竦むことは怖い。不二咲の信頼に足る友は、よく笑いよく泣く不二咲を笑顔で光の前に追いやる。目を射るほどに眩しい暴力的圧倒的な真実の前では、泣いても笑っても隠し事などはできないのだ。仲よくしてやってくれという無責任な言葉のあとに、あたしと不二咲はもう仲いいじゃんクラスメイトだし、という能天気な江ノ島の声が響いたとき、自分がどんな顔をしているのかさえ不二咲に想像する余裕はなかった。ただ、そのとき不二咲の脳内を支配していた恐怖は、江ノ島がこちらを向いてにこりと笑った瞬間にかき消えた。ひまわりのような、江ノ島盾子。不二咲を江ノ島に託して気を利かせたつもりか先に帰ってしまった友の背を、先ほどまではあんなに恋しがっていたのに。そんなに怖がらないでよ。江ノ島は困ったように笑う。あー、あたしでかいし声うるさいけど、噛みついたりとかしないから。不二咲はおずおずと笑う。江ノ島さん、迷惑じゃない?迷惑?ぜーんぜん。そう言って江ノ島はまた笑う。
紋土も怜恩も悪いやつじゃないけど気ぃ利かないねーやっぱバカだから。江ノ島の言葉に不二咲はくすくすと笑う。ボクふたりとも好きだよ。ふたりともすごく優しい。へーえ、と見上げた江ノ島の横顔が驚くほど優しく微笑んでいて、不二咲は安堵する。不二咲は普段なにしてんの。あー、どこで遊んでるとか、家でなにしてるとか。不二咲は小首をかしげた。あんまり外では遊ばないかなぁ。あ、でも、大和田くんとか桑田くんはよく声かけてくれるよ。家では、と、不二咲は少し言いよどむ。自分が開発したいと思っているもののことを、江ノ島は理解してくれるだろうか、と思った。顔を上げると盾子もこちらを見ていた。優しい目。不二咲は結局ごまかすように笑う。江ノ島さんってすごいね。仕事とか。がんばってるし。そーでもないよ、と、即座に返事があった。いろいろめんどいよ。でもまぁ、欲しいものがあるからね。欲しいもの?そう、と江ノ島はなんでもないように笑った。不二咲にはわかるでしょ。不二咲は目を見開く。
欲しいものならあった。喉から手が出るほどに。形のないものを欲しがるには不二咲は現実主義に過ぎた。また、弱かった。光に射られ、その眩しさを恐れ、『そうされるのが怖かったから』江ノ島に向かって笑ったりした。江ノ島に蔑まれたくはなかった。自分が、心のどこかで、彼女を取るに足らないものと蔑んでいるように。江ノ島のしろい横顔はそれ自体がひとつの絵画のように美しかった。そうなりたかった。叶うならば、美しく強く咲き誇るひまわりのような女に生まれたかった。江ノ島盾子のような女に。あたしは不二咲のこと好きだよ。唐突に江ノ島は言う。なにを考えてても、これからどう変わってしまっても、あたしは不二咲が好き。だから大丈夫。不二咲は不二咲の思った通りに生きればいいよ。その言葉に、心の奥に隠したものがかたかたとわめく。不二咲の視線に、江ノ島はこぼれるように笑った。あたしたち友だちじゃん。ね、不二咲くん。
こぼれた涙を拭ってくれた指先は、孤独をかき混ぜて渦を生む指ではなかった。緩やかな孤独をかき混ぜてかき混ぜてなかったことにする、魔法のような江ノ島盾子の指先だった。










鈍涙
不二咲と江ノ島。
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汚い女だ、というのが最初の印象で、当分それは変わることはなかった。だらしなく笑いながら自分をねとりとした目で見つめてくる腐川に、十神はどうしてもそれ以上の感想を持てなかった、とも言える。尊大でそれゆえに狭量な十神の百万本の針のような無慈悲な言葉にすら、腐川は堪えた様子もない。名前の通り神経まで腐り爛れ落ちているに違いないと思っていた。十神の姿を見るたびに、腐川は締まりのない口元をますますゆるませ(笑いかけているつもりなのだろう)、胸の前で小刻みに手を振って見せたりもする。十神になにかしらのいらえを期待しているのならばそれはおぞましい行為でしかなく、そうでないのだとしてもせいぜいが無意味の一言で切り捨てられるような、どうしようもなく愚かしい目障りなそれを、腐川は十神を見るたびに必ず繰り返す。必ず。退屈が煮詰まったようなシェルター暮らしだったが、十神にとっては一瞥の価値もない女だった。有象無象。永遠に続く明日。鉄と妄執の檻と、腐川冬子。
超高校級の文学少女と称される文壇稀代の新星にはあるまじく、腐川は下品にニタニタ笑い無意味な錯乱を繰り返し、相手の厚意を卑屈に踏みつけては周りの神経を無闇やたらに逆撫でしていた。それだけでは飽き足らず、妙に気に障る独特の言葉で相手を詰っては反感を買い、結果彼女は誰からも疎んじられていた。こんな生活でなければ誰も腐川に構いはしなかっただろうし、腐川もまた誰も必要とはしていないような素振りを崩しはしなかった。いっそ潔いまでの排他性には妙に光るものがないでもなかったが、やはり腐川は十神にとってはそれだけの取るに足りない女でしかなく、これからもそうであると容易に想像はできた。なにを期待しているのかはわかりたくもなかった。幼稚な好意をだらだらと溢しながらこちらをじっと見る、腐川の目はごみ溜めにふと流れ澱んだ油のようにいやに濁って、それにもまた感に堪えるものが感じられないでもなかった。結局はそれだけだと、糸を切るように簡単に忘れてしまえるものではあったが。
十神の研ぎ澄まされた感覚が腐川を注視するに至ったきっかけはそんなことではなかった。そんな些細なことでは。腐川は言った。十神くんは前からずっと素敵だった、と。前から。十神はわずかに眉を寄せた。おれとお前は以前にも会ったことがあるというのか。あああるわ。腐川は妙に確信に満ちた声で頷く。だだって、あたし、十神くんのこと覚えてる、もの。十神くん前もあたしを汚いって、つまらん女だっていい言ったわ。覚えてるのあたし、き記憶力は、悪くない、から。十神は読んでいた本から顔を上げた。腐川は妙に幸福そうにニタニタと笑っている。いつのことだ。そう問いかけると腐川は途端に笑みを消して項垂れた。わわから、ない、わからないの、それは。消え入りそうな言葉尻に妄想だなと嘲笑を叩きつけると、腐川は顔を上げた。とと十神くんは覚えてないの。覚えてないわよね。だってみんな覚えてない、もの。あはあははあははは、と引きつるように笑う腐川の目は、いつになく熱を帯びてしとりと深い闇のようだった。
胸の前で指をぐるぐると組み合わせている腐川の顔を改めて眺める。見覚えは、もちろんなかった。こんな下品な女。言い様のない苛立ちが腹の底から込み上げてくる。怒りのあまり吐き気がした。妄想に違いない腐川の言葉が、かつて自分と腐川が出会ったことがあるなどという有り得ない過去が、自分は前にも腐川のこと汚い女だと言ったという作り話が、どうしてこうも自分の心臓をめちゃくちゃに叩いて叩いて止まないのだと。腐川の言葉はその音のひとつひとつを十神の健やかな神経に絡めては、なにも知らない十神を嘲笑うように通り過ぎていく。不愉快だった。どうにかなりそうだと思った。なにも知らない十神を当たり前のように眺めている腐川が許せなかった。幼稚な好意をだらだらと溢しながら、締まりのない顔で笑って、そのくせいらえがあるなどという期待は始めからしていなかった。何故なら腐川は既に十神に破れていたからだ。彼女だけが知る未知の過去において。
白夜さま。腐川はひひひっと卑屈に笑った。こここれでも、思い出せない?あたしの。
腐川の手にはいつの間にか鋭い鋏が握られていた。

不二咲千尋が死んだのはそれから少し経ってからだった、ような気がする。









神様と暇潰し
十神と腐川。
夜型の人間には夜の楽しみ方などいくらでもあるのに、健全なリア充であるところの彼らはそれを否定ばかりする。山田は憤っていた。明け方に寝てウキウキのお昼休みに合わせて起床し、原稿をこなす傍ら壺の場所で実況及び笑顔のこぼれる場所での新着動画閲覧を始め、そのまま次の明け方まで突っ走る山田のライフスタイルなど、彼らには到底理解など得られそうもなかったからだ。元学園のシェルターにはもちろん各種インフラ設備が完備されており、外界と隔離されるとはいえ外から手に入るものもないわけではなかった。週間跳躍、日曜、王者、薬莢、他にも各種漫画やゲームやDVD等の供給が定期的に必ず行われることを条件に、山田はシェルターに入ることにした。当然突っぱねられてしかるべき要求であったし、そのままシェルター入りもご破算になればいいと思って提示した内容だった。山田は次の世代へ希望を残すためのバトンになどはなりたくなかった。昼のただ中に笑ったり語ったり恋をしたりする、そういう人間は願い下げだった。
江ノ島盾子というのは山田のような人間が忌み嫌いリア充爆発しろと願うところの筆頭のような人間で、頭も尻も軽そうなどうしようもない産廃女だった。クラスの中でもシェルターの中でも、浮いたような浮かないような話題ばかりが付きまとっている。男なら誰でもいいのかと思いたくなるような、その素行は別け隔てがなかった。夜は22時には寝室に引き上げ、夜間の出歩きを禁じるように決まってからも、江ノ島はちゃらちゃらと平気な顔で歩き回ってはときどき原稿に勤しむ山田のところに遊びに来たりもした。最もその決まりは誰も守ってなどいなかったが、それでも言い出しっぺが堂々とルールを無視するのはどうだろう、程度のことは、引きこもり体質の山田でもちらりと思わないでもない。やーまだー。江ノ島がインターホンを連打するので、山田はのそりと座布団がぺたんこになった椅子から立ち上がった。あまり廊下でうるさいと桑田辺りが怒鳴り込んで来かねない。
あのおー。扉を細く開けるなり江ノ島は山田を押し退けるように部屋に入ってくる。でぶでぶ今なにしてたの。言いながら作業机に置かれたパソコンのマウスを勝手に操作している。ちょっと待ったああああ!戦車のように突っ込んでくる山田から華麗に身をかわし、江ノ島はニヒンと笑ってベッドにあぐらをかいた。江ノ島盾子殿ー、拙者締め切り間近で大変焦っておるのですが。封筒に納まるものならばシェルターから外に出すことも可能だった。主催者直々に声がかかったコズミックプリティレイナのアンソロジー原稿にはここ二週間全力で打ち込んでいる。間違ってデータでも消そうものなら山田は江ノ島を一生許さないところだった。江ノ島はくせえくせえとケタケタ笑いながらベッドをころころと転げている。長い脚を強調するようなペチパン姿だが、山田はなんの感情も催さなかった。三次女は産廃、だ。でぶでぶーコーラちょーだい。甘いものは控えているくせに江ノ島は山田の部屋ではよく飲み食いする。
ペプシよりコカの方が好きだ、という点が、一番最初の共通点だった。次はリサ・ローブ。江ノ島がハミングしていたまさにその曲が、もちプリでアレンジされ挿入歌として使われていたのだ。他人のような気がしないね、などという江ノ島の言葉は話し半分に聞かざるを得ない。江ノ島は昼の人間だ。太陽の下で笑ったり語ったり恋をしたりするリア充。江ノ島たちが昼を遊ぶおなじ時間だけ、山田は夜を遊んで孤独に強くなる。あたし夜って好きだよ。週間王者を勝手に読みながら江ノ島は嘯く。だったらルールなんか作らない方がよかったのではござらぬか?あっそれはダメ。江ノ島は顔を上げる。守る気がなくてもルールはルールだから。守れないやつから死んでいくの。ええーそんな大事!?信号と同じよ、と江ノ島は平然と言い放つ。コーラを豪快に飲み干すしろい喉が生々しく動いた。あたしは夜が好きだし、ルールをちゃんと守るでぶでぶも好きだよ。腕で唇を拭って江ノ島はほがらかに笑う。なんと言おうが昼の人間だ。山田にとっては、江ノ島は。
江ノ島たちがいくつもの昼を遊んで強くなるように、山田はいくつもの夜を這って強くなる。そういうときには決まって江ノ島は足音を忍ばせて近づいてくる。昼も夜も遊んで、そのくせに守るべきものを主張する。他人のような気がしない。かつての山田には、夜しか味方がいなかった。山田。江ノ島はベッドに仰向けに横になる。たまには外で遊ぼうよ。そういうことを言うから、江ノ島は山田の中でどうしようもない産廃女に過ぎないのだった。希望も絶望もなく、ただこの中で腐って死んでいけるなら、それが一番いいと思っていた。昼のただ中に、笑ったり語ったり恋をしたりするような、馬鹿げた人間に成り下がるくらいならば。おかしなことに江ノ島とは他人のような気がしなかった。江ノ島にはことのほか夜が似合ったからかもしれない。江ノ島はいつもニヒンと笑って、あたしら友だちじゃんね、と言う。決まってそう言う。
夜は22時には寝室に引き上げ、夜間の出歩きを禁じるように決まったときに、山田の脳をかすかにくすぐったのは、似たようなことを前にも誰かが言っていたな、という記憶にも満たないデジャヴュゥだった。










灯火管制及び戒厳令の序
山田と江ノ島
じゃらじゃらといかつい装飾品をぶら下げた赤毛の耳は、先端がかすかに赤らんでそれが冬を思い出させた。桑田は厳重に閉ざされた正門を、それしかないようにうろうろと落ち着かない様子で歩き回っている。立ち止まると不意に訪れる癖を、ないことのように振る舞いたいのだろう、と思った。野球なんて泥臭いことは好かないと豪語した桑田は、それでもときどき手の指を曲げてなにかを確認している。後ろの二指を深く畳み、人差し指と中指を大きく広げて軽く曲げる。大和田は野球には明るくなかったが、その指の曲げには見覚えがあった。桑田の手は上背に比べて大きく、指はすらりと長い。それこそ超高校級のフォークを投げるのだろうと大和田は思った。打者の手前で深く沈むフォークは桑田に似ていると思う。握手の手を突然引っ込めて嘲笑するような。フォークやチェンジアップの握りで手首を効かせ、それに気づいてふと腕を下ろす桑田を、大和田はここに来てから何度も見た。
桑田は細く削った眉をいつもいらいらとつり上げ、気短な言葉を吐きながら、一方では舞園や江ノ島への下心を隠しもしない。初日に大和田が大神とさんざん殴った鉄の壁はのっぺりと冷たく、監視カメラとガトリングに睨まれた正門は息がつまるばかりの場所だが、桑田がなぜここに好んで足を運ぶのか、大和田はわかりかねている。それも自分の前に立って。大和田は面倒が嫌いなのでこの場所が好きだった。なにかしている気になれる。それがびくともしない壁をただ撫でているような、極めて無意味な行為でしかなくても。先ほども桑田は苗木と連れ立ってやって来た舞園に、大言壮語としか思えないような夢をしゃあしゃあと語っていた。幸せな野郎だ、と思う。落ち着かない桑田はそれでも大和田の目にも障らない。目的があって、それが甘ったるく溶けやすいような夢みたいなものならば、そういうものを持っているやつが一番幸福なのだ。少なくともこの場所では。そして、こんな馬鹿げた状況では。
冬の籠坂峠の凍った路面で、先頭を走る兄の後ろを脇目もふらずに駆け上がったときよりも、深夜の環七で荷を満載したデコトラと競ったときよりも、自らが事故を起こしたときよりも事故を起こさせてしまったときよりも。何故だろう、と大和田は思う。何故こんな場所の方が死に近いのだろう、と思う。鉄に囲まれたこんな場所の方が、冬の指先よりもずっと血なまぐさいのは。ふと目線が桑田にぶつかる。左手を垂らし、右の脇を絞め、軽く上体を捻っている。スイングの体勢だ、と思った。桑田の引き締まった腕は、どんな豪速球も美しい彗星のように流す。甘ったるく溶けやすい馬鹿みたいな夢があって、それは少なくとも桑田には、大和田の持たないものがあるという揺るぎない事実だった。その甘さが、大和田には取るに足らないものだったとしても。それでも桑田はまだ、忘れようとしたものを忘れられずにいる。どんな気持ちなんだろうと思う。棄てようと決めたものに救われるというのは。
桑田と目が合う。細い眉がつり上がる。剥き出した白い歯の、犬歯がひどく鋭い。なに見てんだ。桑田の低い牽制に、大和田はなにも言わなかった。虚勢を張るのは得意だった。この中の誰よりも。大和田は目を反らす。うるせえな。別に見てたわけじゃねえよ。桑田は舌打ちをして、両手を細身のパンツのポケットに突っ込んだ。そうしてまたいらいらと歩き出す。大和田の目には決して障らない。もしかしたら桑田は、そうやって悔いているのかもしれない。忘れようとしたことそのものを。大和田は頭の後ろに触れた。昔むかしの傷がそこにはある。おまえ。不意に向こうから話題を振られて、大和田は顔を上げた。桑田がまっすぐにこちらを見ている。殺せるか?低く短い問いだった。ひどく簡潔な、しかしその言葉を聞くまで、大和田は忘れていた。大和田にはないものを持っている桑田には、そうするしか活路はないのだと。幸福な桑田。冬みたいな赤い耳をした桑田。
そうか桑田は殺せるのか、と大和田は思った。そして、桑田ならそうするだろうとも。返事のない大和田に堪えかねたのか、桑田はまた舌打ちをして背中を向けた。桑田の甘ったるい夢。馬鹿げた夢。それでも桑田は幸福だ。持っているのだから。持たざるものの、それを、桑田ならなんと呼ぶだろう。苗木なら、舞園なら、大神なら。答えはない。桑田の指が今度はシンカーを握る。冬のようだ、と桑田は思った。ドラム缶で起こした焚き火の、その一筋を掬うような。おい。大和田の声に、桑田は振り向かなかった。振り向いたら、殴ってやろうと思っていた。冬の指先とそこに燃える火と、桑田と大和田と、いつか舞い降りる死の影。この場所はずっと死に近い。持っていることだって虚しい。そのことが大和田にはわからない。大言壮語に騙されて、桑田は泣いているようにも見えた。『ほっといてほしいのおねがいだから』血なまぐさい鉄の箱には自分と彼らが孤独なばかりだ。

ほっといてほしいのおねがいだから
目をつむるわ
なにも
見えないように









ヒトリ
大和田と桑田
お誕生日おめでとうございます。
リスペクト谷川俊太郎「ひとり」
宇都宮で出会ったあのひとに恋をしたのだ。
生まれて初めての恋は、彼女に極上のロイヤルミルクティの味だけを刻んで花のように散っていった。梅雨の頃だ。セレスはそのときの自分の格好も覚えている。モワ・メーム・モワティエのワンピースにクエスチョンマークのエナメルレインブーツ。アニエスベーの薔薇模様の傘を差してセレスは運命のひとが失われるのを見ていた。人好きのするふくよかな顔と体。糊の効いた服ときれいに切られた爪。セレスをまるで一流のレディのように恭しくもてなす仕草。柔らかな言葉。繊細さとはほど遠いその指が魔法のように淹れる魔法のようにおいしいミルクティ。そうしてそれよりも遥かに熱くセレスの心を溶かした、穏やかで優雅なその笑顔。彼のする全ては、どんな言葉よりも雄弁にセレスの中に響いた。まるでオーケストラのように。未だにそのときの甘やかな陶酔を棄てきれていないのかもしれない。セレスはあの日以来、決して埋まることのない深い谷を抱いて生きている。
どー考えても有り得ないと思うんだけど。江ノ島はセレスのベッドに腰掛け、左足を右の腿の上に引き上げて爪を磨いている。上の空だ。そうですわね、とこちらも半ば上の空でセレスは優雅に脚を組む。江ノ島は部屋着のショートパンツ姿で、ともすると下着が覗いてしまいそうな奔放な姿を昼でも夜でも改めもしない。なにか召し上がります?いらなーい。江ノ島は爪に丹念にやすりをかけ、かざしてしげしげと眺め、またやすりを動かす。豊かな洗い髪が江ノ島の顔の周りでしっとりとわだかまっているせいか、普段よりもこの部屋は湿度が高い。セレスはブサ専なんだね。丹念に磨いた爪を眺めながら、江ノ島は感心したように言った。その言葉に、セレスは優雅にカーヴした眉をはね上げる。とんでもありませんわ。わたくしは美しいものしか愛したりしませんの。江ノ島はマスカラなどつけなくても濃く長いまつ毛の下の、わずかにくすんだような色の瞳をセレスに向けた。この目には覚えがある。セレスは唇をそっと吊り上げた。
江ノ島は挑戦的な仕草で脚を床に下ろし、それをすらりと組む。憎たらしいほど。セレスは思う。憎たらしいほどこの女はきれいだ。きれいで、非の打ち所がない。そのくせ江ノ島には決定的に足りないものがある。なにが足りないのか、それは百戦錬磨のセレスにもわからなかった。なに考えてんの。思っていたことを先んじて言われ、セレスは莞爾と微笑む。明日の朝食のことを。ハッと江ノ島は下品に鼻で笑う。そんなはすっぱな仕草すら、この女にかかればなんとも麗しい。今ごろあの肉ダルマ、不二咲オカズにオナってるかもね。セレスは目を細めた。幼稚な挑発は、放った江ノ島さえもその効果を諦めるほどに無意味に床に落ちた。セレスはすいと立ち上がり、江ノ島の肩にそっと手をかけてそのまぶたに唇を押し当てた。江ノ島は身じろぎもしない。ボディバターだかトリートメントだかの、バニラの甘い香りがする。しっとりとわだかまる江ノ島の長い洗い髪。
あのひとの美しさは、わたくしだけがわかっていればいいんですの。セレスは口には出さずにそう囁いた。思わぬ近距離で覗き合う瞳には、この上なく幸福な(そう見えるに違いない)が小さく映り込んでいる。馬鹿馬鹿しいほどの幸福の模倣。江ノ島はその爪を誰のために磨くのだろうと思った。誰かの背中に突き立ててしがみつくために磨かれるのだとしても、そうして万が一にも、その爪が彼の背中の豊かな肉を掻きむしる日が来るとしても。セレスは江ノ島の冷たい頬に冷たい手を触れさせた。そのときもきっと自分は、こうやって優雅に、穏やかに、満ち足りたように、笑っているに違いない。彼の美しさは、自分だけに思い至ることができる桃源郷だ。江ノ島ごときの女には、たどり着くことさえ叶わない。やりたいの。江ノ島は笑った。セレスは意味ありげに微笑む。わたくしの純潔は愛するひとに捧げると決めていますの。残念、と江ノ島は笑った。やはりこの女はきれいだ、と思う。
宇都宮で恋をしたあのひとには既に愛するひとがいて、そのことはセレスの中で永遠に埋まらない果てしない峡谷になったけれど、その代わりにセレスを強く美しくした。その磨き抜かれた絶望が、あの雨の日にわたくしを訪なわなければ。セレスは思う。きっとわたくしに残るものはなにもなかった。今ならばわたくしはそのために「死んでも構わないと思っていますのよ」江ノ島はセレスを一瞬眇め、それからゆっくりと、空気を押し出すように笑った。こんなこと言ったらあんたは怒るかもしれないけど。江ノ島がしゃべるたびに、頬に添えた手のひらがかすかに揺れる。あたしとあんたは似てるよ。あんたがなんと言おうと。セレスはまばたきをする。仕方のないことだ。それも運命なのだから。あのひとに恋をしてしまったことが、あきれるほどに素直に恋をしてしまったことが、これからセレスをさらなる絶望に引きずり込んだとしても。江ノ島はにやりと笑うとセレスの白磁の頬に唇をかすめた。
希望の高みの、雲も見えない光の最中で、あのひとに恋をしたのだ。
そして運命は七番目のラッパを吹く。








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